差がつく前に差をつける! …ような子育てと教育ではありません

 

子育てにおいてカテゴライズされたり診断されたがる親子たち で書いたのですが、このキャッチコピー、まさに他者評価に依存させる子育てと教育

他人と比べて、そこから自分を評価する子に育てるのでしょうか?

100歩譲って「評価」じゃない、「他人と自分との違いを把握することも必要だ」、として、小学生に必要でしょうか?

差や、比の感覚が必要なのは 算数の話だけにして!ヽ(`Д´)ノプンプン

(数学からは私の守備範囲外です。)

親御さんたちは、学習ツールとして使ってはいるけれど、価値観はこのキャッチコピーのように思っているわけではないのよ、ということを願いたいです

もちろん、どんぐり倶楽部は(きっと、シュタイナーやモンテッソーリやアドラー流子育ても)、「差がつくまえに差をつける!」…ような子育てと教育をおすすめしてはいません。

 

子どもが自分のことを知り、自分のことを認められるようになる子育てと教育です。
それは、具体的にどうするのか?というと、「外遊びをすること」です。外遊びには、自分だけの発見や挑戦がたくさん隠れています。外遊びが一番簡単ですが、主体的に過ごす時間があることでも構いません。「自分の好きなことを自分でみつけて没頭する時間があること」が大切です。

外遊びが足りないと、「自分の身体、自分の身体の動かし方、力の使い方」を把握できないまま育つそうです

(汐見先生の本やシュタイナー関連本より)

他人にさせられて、評価されることに慣れると「自分のやりたいことがわからなくなります」。

外遊び(もしくは主体的に過ごす)で、自分の身体を把握し、自分が何者で何がしたいのか、発見と小さな成功体験を、自分自身で積み上げていける子どもが強く賢くしなやかに生きていくことができます。

 

じゃあ、外遊びしていた昔の子がみんな天才だったの?

(どんぐりでは子どもはふつうにみんな天才なのだそうですが)

そう、昔のほうが思考力が育ちやすい環境ではありました

ただし、学歴にその結果を求めるのではなく飢えずに生活を営むことが最重要課題だったり、人権が醸成されておらず職業も選べず、環境的には、受け継ぐ、引き継ぐような能力が大切にされていたのかなと思います

ても、生きる力、というと、もう比にならないですよね

とはいえ、そんな時代で望むと望まざるとそう生きなければならなかったわけで、今に生きる人が昔の生活を真似しなきゃいけない!というわけでもないと思います

今の時代のほうが、人権意識も民主主義も醸成されてきていています

私の父母、祖父母時代の教育や生活の話を聴くと、父権思想が…(´-`).。oOむりだし…

ただ、昔の良いところ、良い子育て環境、仕組みの見える生活、子どもが自由に群れで遊べる環境と時間と大人たちの眼差しは、今の時代にも整えていけたらいいのになと思います。

(昭和30年代の下町の子育てのイメージです。育児書や映画とか漫画とかからの、イメージです…)

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